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2010.05.07

香水と木刀

香水と木刀


WindowsMobileプログラムのマニュアル書きに飽きたので、久しぶりに落描きして逃避。
ってか、タツヨシ資料少なすぎだよ。


…浜松で上映するというので、映画「マイマイ新子と千年の魔法」を観てきました。2回目です。

5/1はGWで初日、ファーストデイで1000円だったり、監督さんが挨拶に来られるなどてんこ盛りの内容で、前回とは違って大入り満員。
せっかく監督さんが来られるのに4人だったら洒落にならないところだったのでよかった(^^;

子供さんもそれなりにいたのですが、最後まで騒ぐこともなく、大変快適に鑑賞できました。
あえて言うと、ちょっと音響がおとなしかったかな。テーマ曲の足踏みしているかのような所で、ずんずん響く重低音がないのがちょっと悲しかった。
でも、清水のときよりスクリーンは綺麗だったし、椅子も座り心地良かったです。

初回鑑賞から3ヶ月近く経ち、自分の中での評価も落ち着いて、「2回目観ることもないかな?」とちらっと思ったりしたのですが、まったく浅はかな考えでした。
聞いてはいたし、観ればわかるのですが、いかに緻密に細部に至るまで作りこまれているか、回を重ねるごとに認識を新たにしそうなことが判明して、驚愕しているところです。

はっきりくっきり明快なメディアに慣らされてると、「なぜそこまで」「ええーっ」って感じで、凄いなと。
表層の展開だけでは推し量れない多層・多重構造の映画です。

でも、誰にでもわかるテーマがきちんと用意されているので、安心してお薦めできます。
けれど、ノスタルジーとはむしろ反対のテーマが設定されていることは考慮しておくべきかも。


ここからはネタばれ。ていうか、観てない人は意味不明かと。個人的な妄想の可能性も。


今回特に自分の中で発見だったのは、絵にも描いたしタイトルにもしましたが「香水と木刀」。
物語の中で重要なアイテムですが、象徴的な役割を持っていて、それを考えに入れることで物語の展開がはっきり構造的に見えてきました。

「香水」は母、「木刀」は父ではないかと。

「香水」は貴伊子にとって、お母さんの記憶。小さい頃に亡くなったお母さんをイメージする重要なものですが、クラスのみんなには「くさい」と否定されてしまいます。
大事にしていた金魚も、香水の瓶が原因で死なせてしまい、「香水」を否定→お母さんがどんな人だったのかわからなくなってしまいます。

「死んだものは帰ってこない」「もう考えないようにしよう」という心情に繋がっていくのですが、お母さんのこどものときの写真を見つけたことで、「お母さんもこどもだったんだ」と自分の身近に感じられ、想像できる対象として定着します。

さらに、「イメージすること=死んだ人とも会える」という風に昇華します。ラストの金魚に会いに行くために新子以上に張り切って駆けていくのはそういうことだったんだなと。

これが貴伊子の物語。


「木刀」はタツヨシにとって、なかなか打ち解けられないお父さんの威信。
周囲の人が「立派な人」と認める象徴で、自分が感じる父親像と開きがあり、木刀を持ち歩き悪びれることでお父さんの威信に対して反発しています。

その威信である木刀を掲げて子供たちを先導し、自分もお父さんのように周囲に認められる存在になろうとした矢先、そのお父さんが死んでしまいます。
今までの父の威信も見せかけだったことが周囲に知れ、落ち込みます。

木刀を持っていても何の解決にもならなかった、自分は見せかけの威信を示すのではなく、自分らしくこどもに向き合っていろんなことを語ろうという心情に至ることで、木刀を手放し、開放されます。最後の笑顔はそういうことだと。

これがタツヨシの物語。


このトラウマを抱えている2人が解放されるまでの物語がマイマイ新子のメインストーリーで、これを軸に様々なエピソードが展開され、ラストでは同時進行で解決に至ります。

まあなんのことはない、ストーリー展開は観ての通りなんですが、初回鑑賞では2人がなぜそういう行動をとるのかがわからず。
「新子じゃなくて貴伊子が主役じゃん」「タツヨシ後半メインはなぜ?」などメインストーリーが繋がらないことによる色々な疑問が氷解し、確信できました。そりゃ最初からこの2人がメインだものなあ。

貴伊子はともかく、タツヨシの物語を中核に据えたのはなぜ?という疑問はあるにはありますが。
「母」と「父」を持ってきたかったのかな?


この2人の物語をマイマイ新子の縦糸とするなら、横糸は新子と諾子のイメージ・平安時代の物語といえますが、特に新子がはっきりしません。とっかかりはいくつかあるんだけど。
そもそも本来なら新子のおじいさんの死を中核に据えて物語を展開するのが普通じゃないの?と初めて映画を観たときも思ったので。それだと赤毛のアンそのものですが。あの駆け足になってるエンディングの意味は?

原作読んでないので、なんとも言えないけど、読むともう少し何かわかるのかなあ。何かが巧妙に隠されているのかも。
映画鑑賞2回目で、これだけ印象が変わったので、まだまだいろいろあってもおかしくないし、実際ありそうです。
ひづる先生も貴伊子のお母さん連想以外もあるかもしれないし、登場する草木にもいろいろ←この辺が弱い
…なんだかセルダンプランを解析しているサルヴァー・ハーディンのようになってきました(意味不明)。


技術的にも、カメラワーク凝ってるとかエピソードの繋がりなめらかすぎとか、いくらでも見所が。
5/14まで浜松で上映しているので、もう一度くらい観に行こうかなあ。
この調子だとDVDを入手したら、それはそれで何回も観そうだけど。

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